広告戦略の話-選挙カーは何故なくならないのか-

 統一地方選挙も後半が始まり、事務所の周辺でも選挙カーが回る時期になりました。
 さて、この選挙カー、「選挙カーがうるさくて仕事が捗らない」「昼寝をしていたのに起こされた」「候補者の名前を覚えた、あの人には絶対に投票しない」等、大変評判が悪いです。
 皆様ご存じのとおり、選挙カーの悪評はここ最近立ち始めたことではなくずっと昔から(それこそ昭和の時代から)言われ続けている事ですが、それでも選挙カーが消滅する気配はありません。
 
 
 いったいどうしてなのか?
 
 
 実のところ選挙カーは広告として見ても法律として見ても、候補者にとっては有益な宣伝道具なのです。
 ではどのように有益なのか、広告としての視点、法律としての視点それぞれから、見ていこうと思います。
 
 
・広告としての視点
 
 候補者からしてみれば自分の政策や実績を見てもらって何とか有権者の選択肢に加えて欲しいところですが、有権者の多くは地域の衆議院議員や現職市長の名前を知っている程度で、現職の県議会議員や市議会議員の名前ですら出てきません。ましてや初立候補の新人など、誰も知りません。
 こう言った場合「名前だけでも覚えてもらいたい」「何でもいいから名前を記憶させたい」と言う広告戦略が有効なわけですが、そうなると視覚的にも聴覚的に選挙カーは大変有力な広告塔となります。
 広告戦略上重要な事実ですが、人間の脳は実のところ悪評と好評をあまり区別していません。前述の「候補者の名前を覚えた、あの人には絶対に投票しない」と言う意見ですらも、戦略上は成功と言えます。無から有になると言うことは広告戦略において大きな進展です。
 
 もう一点、選挙カーを走らせると支持者の鼓舞にもつながります。
 支持者からしてみれば「自分は頑張っているのに肝心の本人が何もしていない」と言う状況は非常にやる気を削がれるものですから、選挙カーが名前を連呼して走っている状況があるだけでも、大変安心するものです。
 反対に選挙カー自体が普遍的な存在ですから、むしろ走らせないことがデメリットになることもあります。支持者から「おたくはなんで選挙カー走らせないの?やる気ないんじゃないの?」と言われるくらいなら、最初から走らせた方がマシというものです。
 
 
・法律(公職選挙法)からの視点
 
 公職選挙法上、選挙カーの関連費用(運転手報酬やガソリン代等)は公費で賄うことができます。
 「資金が豊富な候補者が有利にならないよう公費から支出する」と言う建前ですが、要するに広告費用を税金から出して貰えるという事です。自分の懐を痛めず広告が出せるとなれば、使わない手は無いと思います。
 
 また、選挙運動にはかなりの制限が課されている中で、選挙カーを使って自分の名前をでかでかと書いた看板を街中で走らせることができます。
 これを「デメリットがあるからやめよう」と言えるのは、もう既に名前が売れている候補者くらいなものでしょう。ただでさえ公職選挙法の制限が多いのに、更に自分から追加で制限を課すようなものです。
 
 
 
・まとめ
 
 選挙カーは広告として見ても法律として見ても有益な宣伝道具であり、候補者からしてみればなかなか切って捨てることはできません。
 公職選挙法が抜本的に改正されない限りは令和の時代になっても残り続けると思いますので、我々にできることは法律の改正を求めるか、騒音に耳を塞ぎながら広告の手法を学ぶことくらいでしょう。
 
 ところで、公職選挙法で禁止されている行為は禁止されているだけあって非常に効果的なものばかりです。
 実益のあるところでは組織内の人事や役員投票を有利に進めたり、趣味にしてもアイドルやキャラクターの人気投票で自分の推しを上位の順位に押し上げることが可能となります。
 もちろん規定で禁止されている場合には手を出してはいけませんが、許されている場合は……。
 実生活には関係ないと思いきや、公職選挙法は勉強する価値がある法律だと思います。