ちょっと前の話ですが、自動押印マシーンがネットニュースで話題になりました。
これです。
「ジョークニュースかと思ったら本物だった」「虚構新聞がまた現実にネタを取られた」「いいからもう判子文化を根絶しろ」等散々な言われようでしたが、現実問題としてレガシーマシンFAXと共に判子文化は未だに根強く日本に残っています。
特に銀行での手続きは判子が必須ですし、役所でもモノによっては押印を求められることがあります。大企業の管理職の中には未だに「判子を押すことが仕事」みたいな人もいるようです。
我々士業の仕事でも印鑑は大事ですし、お客さんに貰う委任状やその他の書類にも当たり前のように押印して貰っています。
たとえ「21世紀に判子文化は無駄!根絶すべし!!」と我々が言っても説得力のカケラもないですね、本当に。
さて、判子のパワーですが、実印>>認印>>>>ゴム系の印(シャチハタ等)の順で強くなっています。花押についてですが、少なくとも遺言書では認められないと言う判例(最高裁平成28年6月3日判決)が出ていますので、類推すれば他の書類でも花押は効力のある押印としては認められないんじゃないかなと思います、おしゃれですけどね。
中でも実印は印鑑登録として役所のお墨付きでもありますから、印章それ自体に厳格な管理を要求されています。
実印の管理がしっかりしてなかったばかりに偽造に近いような文書も有効とされてしまった事例もあるとかないとかと言うことですので、しっかり管理しましょう。
契約上実印と認印にそれほど差があるわけではありませんが、裁判上の争いになった際に実印が押してあると確定的な証拠になったりもします。
法律上、遺言書や登記申請等のように押印が要求される場面もありますが、ほとんどの文書……例えば一般的な契約書のようなものには法律上押印が要求されているわけではありません。文書の成立に押印自体が必須要件になるわけではないので、署名だけでも充分成立しますし、拇印とかも必要ないです。
ただし、押印された文書は判例及び法律上いわゆる「二段の推定」で証明力が認められます。これはどういうことかと言うと
一段目
契約書に本人の押印がされている!
=「これは本人が自分の意思で契約書を作ったと推定しようね」
二段目
本人の意思で作ったと言う事は!?
=「契約書全体が、真正に作成されたと推定されるね」
と言う感じで、押印された契約書は確定力が署名のみのものに比べて強くなります。通常は問題にはなりませんが、裁判なんかで結構重要になったりします。
さてさて、判子について取り留めもなく書いてきましたが、冒頭の自動押印マシーンが作製されるくらいには、判子文化は当面の間残りそうです。
判子文化は我々士業からしてみれば笑い話にもできないほど浸透しておりますので、何とも言えない気持ちで件のニュースを見ておりました。
正直に言えば、契約書とかの書類は署名でいいと知りつつもやっぱり判子がないと落ち着きませんし、お客さんから貰う書類にはほぼ判子を要求しています。参ったね。
判子はいずれ廃れてしまうのかそれともこのまま未来永劫残り続けるのかは分かりませんが、まだしばらくは必須のものだと思いますので、生暖かく見守っていこうと思います。